将棋界の名勝負師・升田幸三
将棋界を代表する名勝負師、升田幸三実力制第四代名人。
その歩みには、情熱・信念、そして人間味があふれています。
今回は、彼の人生を象徴するエピソードと名言を通じて、
「真の勝負師とは何か」を探っていきます。
将棋に人生を賭ける姿勢
升田氏は、自身の回想録の中でこう語っています。
「将棋は人生だ。我々は対局通知をもらって手合いがつくと、親が死のうとどうしようと試合を中止できないんです。父が亡くなったとき帰ってくれと言われたが、これも帰れなかった。」
実際、父の訃報を受けても、升田氏は塚田正夫九段との対局に臨みました。
このとき、塚田九段が「しょうがないじゃないか。死ぬものは死ぬ」と声をかけたそうです。
それを聞いた升田氏は、内心で「頭にきた。もうゆるめてやらん」と決意。
そして、その強い意志のままに見事な勝利を収めました。
この出来事は、升田幸三という人間の“将棋に懸ける覚悟を象徴しています。
たとえ個人的な悲しみがあっても、将棋に生きるという信念を貫く姿勢。
まさに“勝負師の魂”が宿った瞬間でした。
将棋に生きるという信念を貫く姿勢。
まさに“勝負師の魂”が宿った瞬間でした。
将棋を通して生きるという揺るぎない信念。そこに、彼の“勝負師の魂”が宿っていました。
幼少期のユーモアあふれる一面
一方で、升田氏にはユーモラスで人懐っこい一面もありました。
幼少期から機知に富んだ性格で、自身の著書ではこう語っています。
「朝、小学校へ行く前に自分の家で飲んでから出かけるから、遅刻し罰として立たされる。気が付いたら寝とる、酔いが回って。」
さらに、叔父が人相見であったことも印象的なエピソードです。
升田氏が生まれたとき、「大変な子が生まれた」と言われ、母は驚いたそうです。
「お前は釈迦とかキリストとかソクラテスを合わせたようなもんだ」
と小学生の間中ずっと言い聞かされ、これが升田氏に大きな自信を与えました。
「ははぁ釈迦とかキリストとかソクラテスかなんか知らんが、こういうものを3つ合わせたようならオレは必ず何かしら偉くなれると、これを信じておりました。母の教育ですね。そのかわり兄弟にはいじめられた。『何が釈迦や、何がキリストや』パチパチ」
このエピソードからは、升田氏の人間性とユーモアが垣間見えます。
真の勝負師たる洞察力
さらに、升田氏の洞察力の深さを示す話も残っています。
内藤國雄九段が講演で語ったエピソードです。
升田氏は宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘を題材に、
勝負師としての読みの本質を見抜いていました。
「遅れてきた武蔵に小次郎が激怒して波打ち際に飛び込んで行って切りかかったら、櫂で一撃され崩れ落ちた。」
小説では、武蔵が小次郎の口元に手を当てて息を確かめたと描かれています。
しかし升田氏は、それを真っ向から否定しました。
「武蔵ほどの達人なら、あの一撃で相手が死んだかどうか分かる。
あれは確認ではなく、戦う前に唾を吐きかけて怒らせた小次郎の唾を拭いたんだ。」
この分析を聞いた内藤九段は深く感銘を受け、
「升田先生と話すと筆が自然と進む」と語ったといいます。
この逸話は、升田氏の洞察力の鋭さと、
勝負師としての「心の読み」を何よりも重視していたことを物語っています。
参考動画
まとめ 〜勝負師としての生き様〜
升田幸三元名人の生涯には、勝負師としての覚悟、
人間味あふれるユーモア、そして深い洞察力が共存していました。
どんな状況でも勝負を投げ出さない強さ。
同時に、他人を笑顔にする温かさ。
それこそが、彼が「将棋は人生」と語った真意なのかもしれません。

