――四度の大病を乗り越えて、なお前進し続ける人生――
将棋とともに歩んだ人生の原点
将棋という知の競技に魅了されてから、私の人生は常に盤上の駒とともにありました。指せば指すほどに奥深さを知り、一生をかけても極められない世界がそこに広がっていました。若い頃はただ強くなりたい一心で駒を並べ、年齢を重ねてもなお、将棋は生きる道標として私の前に立ち続けてくれました。
大会に出れば練習不足でも思わぬ結果を残せることがあり、それが自信につながりました。まるで将棋が私を裏切らず、常に支えてくれていたかのように感じます。そして人生の節目には必ず盤上がありました。
37歳、県アマチュア名人戦での躍進
私が初めて大きな成果を残したのは1992年、37歳のときでした。第46回全日本アマ将棋名人戦・岐阜県大会において三位入賞を果たしたのです。
当時はネット環境などなく、地方に暮らす私には対局相手を探すことすら容易ではありませんでした。練習不足の不安を抱え、気軽な気持ちで臨んだ大会でしたが、結果は三位入賞。自分でも予想外の快挙でした。
「まだやれる」という手応えは、この後の将棋人生を前へと押し進める大きな原動力となりました。

40歳、県アマチュア竜王戦での挑戦
1995年6月、第8回全国アマ将棋竜王戦岐阜県大会に出場しました。40歳を迎えた私は、緊張感漂う会場に足を踏み入れ、再び強豪たちと盤を挟みました。結果は四位。あと一歩で表彰台を逃した悔しさはありましたが、全国規模の大会で互角に渡り合えたことは自信に繋がりました。

43歳、再び表彰台へ
1998年の第11回アマチュア竜王戦岐阜県大会では三位入賞。43歳での成果でした。練習量は減っていたものの、経験と積み重ねが勝負所で生きる。将棋は瞬間の閃きだけでなく、年月をかけて培った読みや感覚が武器になるのだと確信しました。

第一の試練 ― 心臓ステント手術(2022年2月)
階段を上っただけで息苦しさを覚え、診断は労作性狭心症。高山赤十字病院と富山大学附属病院で、計三度のステント手術を受けました。命に直結する病でありながら、幸い手術は成功。薬の服用は続いていますが、日常生活には大きな支障はなくなり、将棋に集中できる環境を取り戻しました。

第二の試練 ― 胃がん手術(2022年10月)
心臓の手術からわずか半年後、今度は胃がんが見つかりました。診断結果を告げられる際、家族の付き添いが求められ、私の場合は姪が二人同席しました。
若い頃の私にとって「胃がん」とは不治の病であり、助からないものだという先入観がありました。しかし不思議なことに、今はその感覚がまったくありません。手術後の組織検査により、医師からステージ3bの希少がんであるとはっきり告げられた時も、深刻に捉えすぎることはありませんでした。今や二人に一人ががんになる時代と言われています。そうした現実を前にしても、私は楽観主義者であることに救われています。
手術では胃の三分の二を切除し、稀少な胎児性胃がんと診断されました。抗がん剤治療を一年間続け、現在は定期検査を受けていますが、経過は順調です。むしろ食欲は旺盛で体重も微増。病を得ても生活を楽しむ力は失われていません。

第三の試練 ― 涙管拡張手術(2023年8月)
その翌年には、目と鼻の不調が私を悩ませました。涙管が詰まり、異常な涙と鼻水に日常生活が支障をきたすほどでした。高山赤十字病院と富山大学附属病院で涙管拡張手術を受け、症状はある程度改善しましたが、完治には至っていません。今でも時折涙と鼻水に悩まされることがあります。
それでも私は深刻には受け止めていません。「この程度なら将棋に集中できる」と考え、あえて気にせず日々を過ごしています。

第四の試練 ― 前立腺がん手術(2024年9月)
四度目の大病は前立腺がんでした。中部国際医療センターでロボット支援による手術を受けました。
何よりも安堵したのは「再発ではなかった」という事実です。もし再発であれば、今のような穏やかな気持ちではいられなかったでしょう。半年を経て体調は安定し、今は平穏な日常を取り戻しています。

病魔と将棋が教えてくれたこと
これら四度の病魔は、人生を揺るがす大きな試練でした。しかし私は一度として「将棋をやめよう」とは思いませんでした。むしろ病と闘うほどに、盤上への情熱は強くなりました。
将棋界の巨人・大山康晴十五世名人は、49歳で名人位を失った後も69歳で没するまでA級に在籍し続けました。晩年はがんを患いながらも将棋に挑み続け、 不死鳥のように立ち上がる姿は、私にとって大きな励みです。私自身も病を抱えながら挑み続けるという意味で、彼の姿に重なるものを感じています。
70歳からの挑戦
70歳を迎えた今、私の中にある最大のテーマは「人は年を重ねると脳は本当に衰えるのか?」という問いです。一般的には加齢とともに記憶力や判断力が低下すると言われています。実際に日常生活の中で物忘れや反応の鈍さを感じる人も多いでしょう。
しかし一方で、私はこうも考えています。脳は筋肉と同じで、鍛えればまだまだ成長するのではないか。特に将棋という高度な頭脳ゲームは、集中力・記憶力・先を読む力など脳の総合的な働きを必要とします。もし高齢になっても将棋を通じて実力を発揮できるのならば、それは脳が衰えていない証拠になるはずです。
自分の挑戦 ― 脳の衰えに立ち向かう
私はこれまで、心臓ステント手術、胃がん手術、涙管拡張手術、前立腺がん手術と、四度の大病を経験しました。それでも「脳はまだまだ戦える」と信じ、今も将棋盤に向かっています。
実際、若い頃と比べて気力や集中力が大きく衰えたとは感じません。むしろ病を乗り越えた今の方が、将棋への情熱は強まっています。大会での入賞歴は過去の記録として残っていますが、本当の挑戦はこれからです。「70歳からでも脳は衰えない」ということを自分の実績で証明したいのです。

終わりに ― 病魔を超えて将棋で輝く
四度の大病を乗り越えた今も、私は前を向いています。病に屈せず挑戦を続けることで、自らの存在を証明してきました。そしてこれからも「病魔を超えて将棋で輝く」というテーマのもと、盤上に生き様を刻み続けたいと思います。
大山康晴十五世名人のように、不屈の精神で挑戦を続ける姿を胸に刻み、私はこれからも駒を握り続けます。70歳からの挑戦は、むしろ新たな始まりなのです。

