将棋講師として伝えたかったこと
かつて私は、習い事教室「サイタ」で将棋の講師をしていました。
今回はその講師時代を振り返り、特に力を入れていた指導内容についてご紹介します。
生徒さんは、すでに将棋のルールや駒の動かし方を理解している方々でした。
まったくの初心者ではないものの、実力的にはこれからという段階の方が中心でした。
指導の柱は「詰将棋」「手筋」「実戦」
初心者への指導法にはいくつものアプローチがあります。
私の場合、授業の中心に据えたのは「詰将棋」「手筋」「実戦」の三本柱でした。
もちろん、生徒さんには上達してほしいという思いはありました。
しかし、それ以上に大切にしていたのは「将棋を楽しんでもらうこと」です。
将棋を通じて、考えることの面白さや勝負の緊張感を味わってほしい。
その気持ちが、自然とモチベーションにつながると感じていました。
楽しさを引き出す工夫
何事にも言えますが、習い事は義務感で身につくものではありません。
だからこそ、私は知識を一方的に押しつけるのではなく、興味を持ってもらう指導を心がけていました。
たとえば、駒の動きを解説するだけではなく、「なぜその手が良いのか」を一緒に考える時間を設けます。
生徒が自分で発見する喜びを味わうことこそ、上達の近道だからです。
実戦こそ最高の教材
将棋の奥深さを実感してもらうには、実戦に勝る方法はありません。
生徒さんのほとんどは級位者でしたので、最初は駒落ち戦から始めました。
「駒落ち将棋」とは、棋力に差がある場合に上位者が駒を減らし、ハンデをつけて対局する方式です。
私の当時の棋力は四段。
相手が級位者の場合は「飛車角落ち」での対局が中心でした。
こうしたハンデ戦には、古くから研究されてきた「駒落ち定跡」があります。
特に「二枚落ち定跡」は、詰みまでの流れが体系化されています。
私はその定跡を基礎にしながら、実戦形式で少しずつ力を伸ばしてもらうよう指導していました。
レッスンを通じて感じたこと
指導を続ける中で感じたのは、「教えることは学ぶこと」でもあるということです。
生徒の疑問や発想が、私自身の考え方を広げてくれました。
この経験は、今でも将棋に向き合う上での大きな糧になっています。
将棋レッスンの具体的な様子については、また別の機会に詳しく書いてみたいと思います。
[定年後の挑戦 〜将棋レッスンとサイタとの出会い、そして別れ〜 の詳細はこちら]春の風景と心の変化
昨日は、私の住む町で春祭りが行われました。場所は諏訪神社。お濠のある城跡で、毎年この時期に神事が執り行われます。
祭りの前日、18日には、夜通しで神社に滞在する当番があり、2人交代で務めることになっています。当日は笛や太鼓が鳴り響き、神輿や獅子舞と共に行者が街を練り歩きます。今年も見物に出かけてきました。毎年見慣れている光景ではありますが、やはり心が躍ります。
昨年度までは地区の組長をしていたため、このような行事があると準備などで何かと忙しかったのですが、今年度は役目を終えたので、内心ほっとしています。


花咲く季節に思うこと
本日は、散歩コースである飛騨川公園を訪れました。先週は桜が満開でしたが、今日はすっかり散ってしまい、葉桜になっていました。それでも歩いていると、ひときわ目を引く、まだ満開の桜に出会いました。
ソメイヨシノではないことは明らかだったので、気になってグーグルレンズで調べてみると、「カンザン」という遅咲きの桜であることがわかりました。艶やかで、他の桜に引けを取らない美しさです。
さらに進むと、今度はチューリップが一面に咲いている景色に出くわしました。以前、砺波市のチューリップ祭りに2度ほど訪れたことがありますが、それに勝るとも劣らない見事な咲きぶりでした。




さらに進むと、今度はチューリップが一面に咲いている景色に出くわしました。以前、砺波市のチューリップ祭りに2度ほど訪れたことがありますが、それに勝るとも劣らない見事な咲きぶりでした。


花に込めた思い
ここで、ちょっとした「心の問いかけ」をしてみます。
花を見て、あなたが連想する言葉はどれでしょうか?
- 美しい
- 儚い
- それ以外
今の私の心境としては、迷いなく「1. 美しい」です。
「儚い」とは思いません。なぜなら、また来年も咲いてくれるからです。
だからこそ、私はこうして前向きに、ポジティブに生きていこうと感じています。

