~医療ミスの報道と、自身のがん体験から考えたこと~
昨日のヤフーニュースで、非常に胸を打たれる記事を目にしました。
神戸市立医療センター西市民病院で、70代の男性患者が医療ミスにより命を落としたという内容です。
主治医の見落としで手遅れに
この男性は2024年9月、病院でCT検査を受けました。
放射線科医は「腹部大動脈瘤」に加え、「肺がんの可能性」にも言及した所見をレポートに記載していたにもかかわらず、主治医がその重要な記述を見落としてしまったのです。
3か月後の12月、体調悪化を訴えて再受診したときには、すでに肺がんステージ4(腺がん)と診断されました。
もし、あのとき主治医が放射線科医のコメントを正確に読み取っていたら――、助かった命だったかもしれません。
「たら・れば」で済まされない現実
この記事を読みながら、自然と「たら・れば」という言葉が浮かびました。
「あのとき気づいていたら」「別の医師が担当していれば」。
そんな仮定は、取り返しのつかない現実の前では虚しく響きます。
けれど一方で、私自身にも“運命の分岐点”がいくつもあったことに気づかされました。
自身のがん体験を思い出して
私は2022年に、下呂温泉病院で人間ドックを受けた際、胃のバリウム検査で異変が見つかりました。
紹介状を持って高山赤十字病院で精密検査を受けた結果、胃がんが判明。局所麻酔で内視鏡を使って組織を採取し、後に診断されたのはステージ3bという進行した段階でした。
もし、あのとき病院を変えていなかったら?
もし、検査をもう1年先延ばしにしていたら?
あるいは、医師が小さな影を見逃していたら?
そう思うと、今こうして生きていることが偶然のように感じられます。
もうひとつの「偶然」
さらに振り返れば、がんが見つかった前年とその前の年は、下呂市が行う集団検診しか受けていませんでした。
その検診にはバリウム検査が含まれていなかったはずで、つまりあの年だけ人間ドックを選んだことが命をつないだのです。
結局、がんにはなってしまったけれど、ツキには見放されていなかった――そう思わずにはいられません。
肺がんもまた他人事ではない
記事の男性が亡くなった原因は肺がんでしたが、それもまた私にとって他人事ではありません。
実は私は20歳から60歳まで、40年間にわたり1日40本近くのたばこを吸っていたのです。
転機は会社の人間ドックで「肺気腫」と診断されたことでした。それでも最初の年はやめられず、翌年も同じ診断を受け、「さすがにこれはまずい」と思い禁煙を決意しました。
意志の力で、私はたばこを完全に断ち切ることができました。
方法は至ってシンプル。
「明日で最後」と決め、その日の夜までは吸い、翌朝から1本も吸わない。
「1本吸えば2本、3本と続く」――そう想像できたからこそ、誘惑に打ち勝つことができたのです。
命を分ける選択と偶然
人生には、“後から思えば運命だった”と感じる瞬間がいくつもあります。
検査を受けるか受けないか、どの医師にかかるか、どの言葉に耳を傾けるか。
それらはほんの小さな選択に見えて、ときに命を分ける分岐点になるのです。
今回のニュースを通して、私は自分が選んできた道、そしてたまたま選ばれた道の重みを改めて感じました。
「たら・れば」は、過去の仮定ではなく、未来の教訓でもあります。
命にまつわる「たら・れば」は、けっして軽く扱える言葉ではないのだと――この記事を読んで、そして自分の体験を思い返して、強くそう感じました。。