他人事でない医療の実話

病魔との闘い

医療ミスの報道を読んで

昨日のヤフーニュースで、胸を打たれる記事を見ました。
神戸市立医療センター西市民病院で、70代の男性患者が命を落としたという内容です。

主治医が放射線科医のレポートを見落とし、肺がんの可能性に気づかなかったことが原因でした。
その結果、3か月後に再受診したときには、すでにステージ4の腺がんと診断されたそうです。

もし主治医が早く対応していれば、助かっていたかもしれません。
「たら・れば」で済まされない現実が、胸に重くのしかかりました。



「たら・れば」は過去ではなく教訓

この記事を読みながら、自然と「たら・れば」という言葉が浮かびました。
「あのとき気づいていれば」「別の医師だったら」。
そう思っても、取り返しのつかない現実は変わりません。

一方で、私自身にも“運命の分岐点”がいくつもありました。
それを思い出すきっかけにもなったのです。


胃がん発見までの経緯

私は2022年、下呂温泉病院で人間ドックを受けました。
そのとき、胃のバリウム検査で異変が見つかりました。

紹介状を持って高山赤十字病院で精密検査を受けたところ、胃がんと判明しました。
内視鏡による組織採取の結果、ステージ3bという進行がんでした。

もし病院を変えていなかったら。
もし検査を先延ばしにしていたら。
今こうして生きていることは、まるで奇跡のように感じます。


もうひとつの偶然

さらに振り返ると、がんが見つかる前年とその前の年は、集団検診しか受けていませんでした。
その検診にはバリウム検査が含まれていなかったはずです。

つまり、あの年だけ人間ドックを選んだことが命をつないだのです。
がんにはなってしまいましたが、ツキには見放されていなかったのかもしれません。


肺がんもまた他人事ではない

記事の男性が亡くなった原因は肺がんでした。
それも私にとって決して他人事ではありません。

私は20歳から60歳まで、40年間にわたり1日40本近くたばこを吸っていました。
会社の人間ドックで「肺気腫」と診断されたときも、最初の年はやめられませんでした。

翌年も同じ診断を受け、「さすがにこれはまずい」と感じ、禁煙を決意しました。
意志の力でたばこを完全に断ち切ることができたのです。

方法はとてもシンプルでした。
「明日で最後」と決め、その夜までは吸い、翌朝から1本も吸わない。
1本吸えば再び戻る――そう想像できたからこそ、誘惑に打ち勝てたのです。


命を分ける選択と偶然

人生には、“後から思えば運命だった”と感じる瞬間がいくつもあります。
検査を受けるか受けないか。
どの医師にかかるか。
どの言葉に耳を傾けるか。

それらは一見小さな選択ですが、ときに命を分ける分岐点にもなります。
今回のニュースを通して、私は自分が選んできた道の重みを改めて感じました。

「たら・れば」は過去への言葉ではなく、未来への教訓でもある。
命にまつわる「たら・れば」は、決して軽く扱える言葉ではありません。

セカンドオピニオンを求めて の詳細はこちら

セカンドオピニオンを通じて見えた“信頼と希望”──がん・涙管手術を経て学んだ3つのこと の詳細はこちら

タイトルとURLをコピーしました