- 第1章 理屈では説明できない再訪
- 第2章 自分の病気を見つめ直したとき、巨石群が再び心に現れた
- 第3章 巨大岩との遭遇──ここは特別な場所だと確信した瞬間
- 第4章 古代人はなぜこの地を選んだのか
- 第5章 パワースポットとして“認知されていない”ことが、むしろ魅力
- 第6章 巨石 × パワースポットという二重構造
- 第7章 全国のパワースポットと比べても、金山は独自の位置にある
- 第8章 巨石の裏側で知った人の意志、そして自然に湧いた祈り
- 第9章 夫婦との出会いと、改めて知る巨石の大きさ
- 第10章 石の前で、私は生を思う
- 最終章 古代の叡智と大地の気が交わる、金山巨石群という場所
- 付録 金山巨石群を調査してきた研究者たち(簡単な紹介)
第1章 理屈では説明できない再訪
一度は「もう来ない」と思っていた場所
前々回のブログで、私は初めて訪れた金山(かなやま)巨石群のことを紹介しました。そのとき正直に言えば、もう冬ですし、当分ここを再訪することはないだろうと思っていました。山道は滑りやすくなりますし、体力にも自信があるわけではありません。巨石群についても、おおよそ見たいところは見終えたつもりでいました。
書き終えた記事が呼び起こした違和感
ところが、前回の記事──胎児性胃がん・ステージⅢbだったこと、そして検診の重要性について書いた記事──を書き終え、読み返しているうちに、胸の内に変化が芽生えてきました。
「もしかしたら、自分はあのまま死んでいても不思議ではなかったのではないか」。
そう考えた瞬間、頭の中にふっと金山巨石群の光景が浮かびました。静かでありながら圧倒的な存在感を放つ巨石の列。森の空気、馬瀬川の流れ、差し込む光の角度。
あの土地そのものが強大なパワースポットであり、前回そこへ足を運んだことが、自分が今こうして生きているという事実と、どこかでつながっているのではないか。そんな思いが、じわじわと心を占めていきました。
第2章 自分の病気を見つめ直したとき、巨石群が再び心に現れた
当時は理解しきれていなかった病気の重さ
前回のブログでは、私は自分が胎児性胃がんという極めて珍しい病気であったことに触れました。
しかし、あの時点では、正確な危険性を理解していたとは言えませんでした。
医師に病名を告げられたときも、「珍しいがんらしい」「症例が少ないらしい」という程度の認識しか持っていなかったのです。
調べ直して初めて知った現実
今回あらためて自分の病状について調べ直す中で、私は初めてその深刻さを知ることになりました。
胎児性胃がんは進行が早く、リンパ節転移が起こりやすく、治療データが乏しい病気です。つまり、どう治療すれば助かるのかという指針そのものが確立されていないのです。
ベテラン主治医の佐野先生が、「今まで執刀してきた中で、胎児性胃がんは初めてだ」と言われた一言が、今になって強烈な意味を持って胸に響きました。
調べれば調べるほど、私は思い知らされました。
自分は、あの時点で死んでいてもおかしくなかったのだと。
それでも私は、こうして今、生きています。
この当たり前で、しかし重すぎる事実を見つめたとき、前回訪れた金山巨石群のことが鮮烈に思い出されました。
そして、もしかすると私は、あの時すでに呼ばれていたのではないか、そんな思いが自然と胸の内に生まれたのです。
第3章 巨大岩との遭遇──ここは特別な場所だと確信した瞬間
突然現れた、異様な存在感の岩
駐車場へ向かう脇道の細い下り坂に差し掛かった、その瞬間でした。
右手の斜面に、視界を遮るようにして巨大な岩塊が突然現れました。
思わずブレーキを踏みました。
前回も同じ道を通っているはずなのに、その時はまったく気づいていなかったのです。
高さはゆうに五メートル以上。
自然に崩れ落ちて偶然そこに引っ掛かったとは、とても思えませんでした。
全体像が見えた瞬間に浮かんだ言葉
視線を周囲へ巡らせたとき、点だったものが線になり、線が面となって立ち上がりました。巨石群の全体像が、一気に目の前に現れたのです。
その瞬間、
「あり得ない。絶対に不可能だ。」
真っ先にこの言葉が脳裏をよぎりました。 理屈では説明できません。
しかし、この斜面に、この位置で、この向きで、複数の巨石が存在している事実が、どうしても現実とは思えなかったのです。
この場所には、何かがあります。
そして、その何かは、偶然ではありません。





第4章 古代人はなぜこの地を選んだのか
直感が問いへと変わった瞬間
第3章で感じた強烈な違和感は、やがて一つの問いへと変わっていきました。
なぜ、この場所なのか。なぜ、ここに巨石が集められたのか。
偶然では説明できない条件の重なり
急斜面にもかかわらず、巨石の面は不自然なほど立ち上がり、向きを揃えています。また、太陽光が特定の位置に正確に差し込むことも示されています。
さらに、周辺地層とは異なる岩種で構成されているという指摘もあります。
これらを偶然で片づけるには、条件が整いすぎているように思えました。
もし別の場所から運ばれてきたのだとすれば、
なぜ古代人は、これほどの労力をかけてまでこの場所を選んだのでしょうか。
答えは一つしか思い浮かびませんでした。
この土地そのものが、特別な場所だったのです。
前々回のブログ記事と第3章で身体が先に感じ取った違和感は、こうして考えを重ねることで、確信へと変わっていきました。
ここに立つと、視界と足元の感覚が自然と落ち着き、拠点として何かを行う場であったことが直感的に伝わって来ます。
第5章 パワースポットとして“認知されていない”ことが、むしろ魅力
公式には語られていないという事実
ここで一つ触れておきたいのは、金山巨石群が世間一般ではパワースポットとして扱われていないという事実です。
Googleで「下呂市 パワースポット」と検索すると、上位に並ぶのは三つの神社だけで、金山巨石群の名前は出てきません。
岐阜県のパワースポット十選といったランキングにも登場せず、現地の立て看板やパンフレットにも、「パワースポット」という言葉は一切見当たりません。
要するに、公式にはどこからも“パワースポット認定”されていない場所なのです。
だからこそ心を惹かれる理由
しかし、だからこそ私は余計に心を惹かれます。
有名な神社のように大勢の人が押し寄せる場所ではなく、静かにひっそりと佇みながら、気づいた人だけを受け入れているように感じるからです。
今年の冬は、もう行くつもりはなかったはずでした。
それにもかかわらず、気がつけば車はまた馬瀬川沿いの道を南へ走っていました。
「呼ばれた」としか言いようのない感覚
「もう一度、あそこへ行こう。」
その気持ちは、理屈で説明しようとしても説明しきれません。
言葉を選ぶなら、「呼び寄せられた」と考えるほうが自然です。
そして、その感覚こそが、この場所がパワースポットであることを、私なりに裏付けていると感じています。
第6章 巨石 × パワースポットという二重構造
巨石として見たときの圧倒的な価値
前回のブログでは、主に「巨石としての不思議さ」や「天文観測装置としての精密さ」を中心に紹介しました。
今回あらためて感じたのは、金山巨石群は巨石文化として見ても、十分に世界レベルの価値を持っているという点です。
改めて整理すると、金山巨石群には次のような特徴があります。
- 周辺地層とは異なる岩種で構成されている
- 春分・秋分・夏至・冬至に光が正確に差し込むよう配置されている
- 北極星・北斗七星との天文的な一致が見られる
- 急斜面に置かれているにもかかわらず、角度が不自然なほど精密である
- 数トン、数十トン級の石が、どのように運ばれたのか依然として分かっていない
これだけを見ても、金山巨石群が単なる「置き石」ではないことは明らかです。
土地そのものが持つ力
しかし、それと同じくらい強く感じたのが、「土地そのもの」が力を持った場所であるということでした。
この山の中腹の地形には、非常に特徴的な要素があります。
- 眼下には馬瀬川が緩やかなカーブを描いて流れている
- 谷の開き方と空の抜け方が絶妙で、閉塞感がありません
- 周囲は巨石と樹木に囲まれ、外界と程よく隔てられています
風水の言葉を借りれば、「気が集まる場所」と言えるかもしれません。
古代の人々がこの場所を祭祀や観測の場として選んだのも、地形的な感覚から見て極めて自然だと感じました。
二つが重なって初めて金山巨石群になる
つまり、金山巨石群は、
- 巨石そのものが持つ価値
- 土地そのものが持つ力
この二つが重なり合って初めて成立している場所なのです。
巨石があるから特別なのではありません。
この場所が特別だったからこそ、巨石が置かれた。
しかし同時に、巨石が置かれたことで、この場所の特別さは後世にまで強く残されたとも言えます。
金山巨石群とは、
巨石文化としての価値と、パワースポットとしての価値が重なり合う、極めて珍しい場所なのだと、今回の訪問を通して強く感じました。
第7章 全国のパワースポットと比べても、金山は独自の位置にある
全国の代表的なパワースポットとの違い
日本には、多くの有名なパワースポットがあります。
- 伊勢神宮──太陽信仰の中心であり、神を祀るための人工構造物
- 出雲大社──神々が集う場としての象徴
- 高千穂──天孫降臨の舞台とされる、神話と自然の融合地
- 戸隠──修験道の聖地であり、山そのものが修行の場
- 屋久島──自然エネルギーの象徴とされる島
これらはいずれも、神社・寺・島といった分かりやすい信仰の対象を持っています。訪れた瞬間に「ここが聖地だ」と理解できる場所ばかりです。
金山巨石群が持つ、異質な構造
それに対して、金山巨石群は性格が大きく異なります。
ここにあるのは、
- 巨石
- 天体観測の痕跡
- 独特の地形
- 古代祭祀の名残
といった要素です。
これらが同じ場所に重なり合って存在している点に、金山巨石群の大きな特徴があります。
神社のような建物はありません。
島全体が聖域というわけでもありません。
しかし、巨石と地形そのものが一体となって「場の力」を生み出している点で、
ほかのどのパワースポットとも重ならない存在だと感じます。
静かに作用する「場の力」
金山巨石群の力は、分かりやすい形で主張してきません。
派手な装飾も、信仰の象徴もありません。
それでも、
- 立つ位置
- 見上げる角度
- 空の抜け方
- 風の流れ
そうしたものを通じて、人の感覚に直接作用してくる力があります。
ここでは、人は自然と足を止め、空を見上げ、
普段の生活では忘れがちな「自分が大きな世界の一部である」という感覚を思い出します。
全国のパワースポットと比べたとき、
金山巨石群は決して派手ではありません。
しかし、だからこそ他にはない独自の位置にある場所なのだと、私は感じています。
第8章 巨石の裏側で知った人の意志、そして自然に湧いた祈り
裏側を確かめたいという思い
道路わきに点在する巨石群を見終え、前回来たときと同じ石段を登りました。
石段を登り切り、視界が開けると、あの巨大な岩が静かに立っていました。
正面に立ったとき、まず感じたのは、この岩を「ただ眺めるだけでは終われない」という感覚でした。
私は自然とこの巨石の裏側はどうなっているのだろうか、
という思いにとらわれました。
回り込もうとして気づいた制限
そこで、巨石の左側から裏へ回り込もうとしました。
しかし、その途中で足が止まりました。
左右の切り立った岩面には、
一部に落下防止のための進入禁止ロープが張られていたのです。
危険な箇所には、安全確保のための制限が設けられていました。
無理に進むことはできません。
私は足元を確認しながら、進める範囲で慎重に位置を変えました。
結果として残された「正面」という場所
そのとき、あらためて気づきました。
左右には制限があるにもかかわらず、岩の正面だけは、ロープも柵もなく、人が自由に立てる空間として残されているのです。
偶然そこに転がっていた岩であれば、このように「正面に立てる場所」だけが、
自然に残るものだろうか。
ここは、遠くから眺めるだけの場所ではなく、人が立ち、向き合うことを前提とした空間のように感じられました。
目にした、自然とは思えない痕跡
制限のある範囲を避けながら、私は進める位置から、改めて巨石の裏側を観察しました。
そこには、自然の割れ目とは考えにくい、ほぼ平面に近い切り口が大きく露出していました。
浸食や崩落の痕とも異なり、長い時間をかけて偶然できた形とも思えません。
前回訪れたときには、この部分にまで注意を向ける余裕はありませんでした。
しかし今回は、確かに自分の目で、その痕跡を捉えたという実感がありました。
これは、本当に自然の産物なのだろうか。
そう自問せずにはいられないほど、不自然なまでに整った面だったのです。
触れた瞬間に生まれた、説明のいらない行為
私はその場で、しばらく動けなくなりました。
やがて、畏敬の念のようなものに背中を押されるようにして、
恐る恐る両方の手のひらを、そっと岩肌に当ててみました。
ひんやりとした冷たさが、指先から腕へ、そして胸の奥へと静かに伝わってきます。その瞬間、理由もなく、頭を垂れずにはいられませんでした。
誰かに教えられたわけではありません。
祈ろうと決めていたわけでもありません。
ただ、その場に立ち、その岩に触れたとき、自然とそういう姿勢になっていたのです。
病気のこと、命のこと、そして生きているという事実。
さまざまな思いが胸に浮かびましたが、不思議と心は落ち着いていました。
ここは、問いを投げかける場所ではなく、
静かに受け止めるための場所なのかもしれない。
そう感じながら、私はしばらく目を閉じ、
巨石の前で静かに時間を過ごしました。



第9章 夫婦との出会いと、改めて知る巨石の大きさ
石段ですれ違った二人連れ
巨石の前を離れ、私は展示室へ向かって石段を下り始めました。
その途中、前方から人の気配と話し声が聞こえてきました。
目を向けると、夫婦らしき二人連れが、石段をこちらへ登ってくるところでした。話を聞けば、今回が初めての訪問で、知人から紹介されて来たとのことでした。わざわざ滋賀県から足を運んだということも知りました。
私は軽く会釈をし、二人とすれ違って、そのまま石段を下りていきました。
他者の姿が教えてくれた巨石の存在感
数段進んだところで、自然と足が止まりました。
上の方へ目を向けると、二人はすでに巨石の前に立ち、見上げたままじっとして動かずにいました。
その姿を目にしたとき、私は改めて、この岩の大きさと存在感を実感しました。
人と比べると、まさに壁と言ってよいほどの大きさです。
一人で見上げていたときには迫力として感じていたものが、他者の姿を通して見ることで、現実のスケールとして立ち上がってきました。
前回の訪問では、ただ圧倒されて終わっていました。
しかし今回は違います。
裏側を見て、手で触れ、そして他者が同じように立ち尽くしている姿を目にしたことで、この巨石が持つ存在感は、より立体的なものとして心に残りました。
この岩は、誰かに特別な感想を強いるわけではありません。
それでも、立ち止まった人には、確実に何かを残していく。
私は、二人の後ろ姿から、そのことを静かに感じ取っていました。
やはり、この場所には、ただならぬ力がある。
そう確信しながら、私は再び石段を下りていきました。

第10章 石の前で、私は生を思う
ここで、今回の訪問で感じたことを、あえて冷静な視点のまま短い詩にしました。
◆ 石の前で、私は生を思う
私は巨石の前に立ち、
ただ状況を観察していた。
風の流れ、光の角度、石の輪郭。
どれも淡々としていて、
誇張も劇的な気配も、そこには見当たらない。
だが、この静けさの中で、
自分がどれだけ多くの時間を生き延びてきたかが
ふと、冷静に理解できた。
感情ではなく、事実として
私は、生きている。
それだけで十分だった。
最終章 古代の叡智と大地の気が交わる、金山巨石群という場所
巨石と土地が分かちがたく結びついた場所
金山巨石群は、単なる巨石群でも、
単なるパワースポットでもありません。
巨石そのものが持つ価値と、
土地そのものが持つ力。
この二つが分離することなく、重なり合って存在している、
極めて稀有な場所だと感じています。
巨石は、古代の人々の知恵と祈りの結晶です。
太陽や星の動きを捉え、
春分・秋分・夏至・冬至の光を正確に導く構造は、
現代の感覚から見ても驚くべき精度を持っています。
「特別な場所」だったからこそ残されたもの
一方で、この山の中腹という地形には、
人の心を自然と落ち着かせる不思議な力があります。
馬瀬川の緩やかな流れ、
谷の開き方、空の抜け方、風の通り道。
それらが重なり合い、
ここに立つだけで気持ちが整っていく感覚が、確かにありました。
巨石があるから特別なのではありません。
この場所が特別だったからこそ、巨石が置かれた。
そして同時に、
巨石が置かれたことで、この場所の特別さは、
時代を越えて私たちのもとへ残されたのだと思います。
今を生きる私たちへの静かな作用
ここに立つと、人は自然と空を見上げ、
風の音に耳を澄まし、
石に触れ、太陽の動きを意識します。
日常の中では忘れがちな、
「自分が大きな世界の一部である」という感覚が、
ゆっくりと心の奥に戻ってくるのです。
私自身、希少がんと向き合う日々の中で、
なぜかこの場所に惹かれ、再び訪れたいと思いました。
その理由を、今も理屈で説明することはできません。
ただ一つ言えるのは、
ここには、人の力ではどうにもならないことを、
そっと受け止めてくれる優しさと、
もう一度前を向いて歩きたくなるような静かな強さが、
同時に宿っているということです。
忘れていた何かに気づく場所
巨石の謎に心が動き、
土地の静けさに身を委ね、
古代の祈りに触れる。
金山巨石群とは、
知と心の両方に、静かに作用する場所なのだと思います。
もし飛騨を訪れる機会があれば、
ぜひこの地に立ってみてください。
光、風、石、大地。
そのすべてが、きっとあなたにも語りかけてくるはずです。
そして、あなた自身の中に眠っていた何かが、
そっと目を覚ますかもしれません。
巨石に秘められた古代のロマン ― 金山巨石群の驚くべき真相に迫る – の詳細はこちら
検診によって救われた命-早期発見がもたらした希望のストーリー – の詳細はこちら
付録 金山巨石群を調査してきた研究者たち(簡単な紹介)
最後に、この金山巨石群の謎に長年取り組んできた人たちについて、ごく簡単に触れておきたい。ここでは、一般公開されている情報の範囲にとどめ、個人名の扱いには配慮する。
【考古天文学・巨石文化を研究するグループ】
太陽の出入りと巨石の配置、北極星・北斗七星との関係などを、長期の観測データとシミュレーションを用いて検証してきた。季節ごとの観測会や、太陽カレンダー・シミュレータの企画にも関わっている。
【地質学の専門家たち】
岐阜大学や名古屋大学の地質関係者が、非公式ながら岩石サンプルを調べ、「周辺の岩盤と巨石群の岩質が必ずしも一致しない」「自然崩壊した岩が偶然こうなったとは考えにくい」といった見解を示している。ただし、学術論文として正式に発表されたものではなく、個人名を特定してしまうと誤解を招きかねないため、ここではあえて実名は挙げない。
【地元の研究会・リサーチセンター】
長年にわたり現地調査や聞き取り、資料収集を続け、ガイドツアーや展示を通じて、金山巨石群の魅力を外部に伝えている。太陽観測の再現実験や、巨石と地形との関係を示す模型づくりなど、地道な活動が今の認知度を支えている。
彼らの見解はすべてが一致しているわけではないが、「この場所は明らかに特別である」という点では共通している。地層の問題にしても、「自然だけでは説明しきれない要素がある」と指摘するにとどめ、断定は避けている。その慎重さこそが、むしろ信頼性を高めているように感じる。



道路の左端が数台分の駐車スペースです。
